



耳元をくすぐる心地よい響きに、僕の胸がじわりと疼く。
目をつぶったままでも、すぐに君だと分かる。ほのかに甘く香るやわらかい髪と、鈴の音のように澄んだ声。それはどこまでも優しくて、全身を包み込むように温かい。
夢の中でなければ、もう二度と聴くことはできない愛しい君の声。
そう。
僕はこれが夢だということを、嫌になるくらい自覚しているのだ。
でも、あと少し……
あと ほんの少しでいいから、この幸せな夢に浸っていたい。

僕も――
その想いを、君に伝えようとした瞬間。
突然、足元が崩れ去り、底の見えない闇へ落ちる恐怖に襲われた。






その声は、確かに君のもので
でもそれはもう、君ではなくて――
泡沫のようなこの夢が今にも消えてしまいそうで、僕は咄嗟に手を伸ばした。
そして、その手が空を切るのを知りながら、君に届けと願って叫ぶ。

僕も――愛してる!
視界が真っ白に弾けると、ハッと夢から覚めた。
伸ばした手の先には、見慣れない天井の木目がぼんやりと見える。
ゆっくり上半身を起こすと、そこは宿泊先のこじんまりした客室だった。他に誰がいるわけもなく、静寂だけが流れている。
僕はやるせない思いを押し込めるように、ひざを抱き寄せて、つぶやいた。

――この気持ちは、君に伝わったのかな?
と、その時。




大きな声と共に、部屋の板戸がバタンと開いた。
強く輝く太陽光に、僕は思わず目を細める。

このギラギラの圧は――

アマテラス!?

そこに立っていたのは、僕の娘の太陽神。そしていまや、この日本の最高神となった天照大御神だった。
彼女は心配そうにこちらへ近づくと、膝をついて僕の顔を覗き込む。

ねぇ、今、お父様、うなされていなかった? 大丈夫?

え? ああ、うん……大丈夫だよ
僕が誤魔化すように はにかんで笑うと、アマテラスはパァァっと笑みを浮かべた。

あらそう、よかったわ! それなら、私の話を聞いてちょうだい!!
えっ。この娘、この流れで話題を変えてきた!?

あ、いやっ、大丈夫っちゃ、大丈夫ではあるんだけど……
僕は言葉を濁す。そりゃ、もちろん、僕だって、今さら過去のトラウマを根掘り葉掘り聞いて欲しい訳ではない。しかし……しかしだなぁ!

あのね、今、仏がヤバいの!

は?……はい!? え、ごめん。ホトケって、あの仏?
繊細かつ複雑なこの想いが完全にスルーされた上に、あまりにも突拍子もない単語に虚をつかれて、僕はぽかんと口を開く。
しかも、今はちょうど、神在月。日本の神々が出雲に大集合している、このタイミングである。そんな時に、まさか『仏』なんてワードが飛び出すとは……

あら。お父様ったら、仏も知らないの?? 今、めちゃくちゃ流行ってる、インドの神様よ!

あー。まぁ、知ってるっちゃ知ってるけど……
なんなら、仏とは「悟りを開いた人間」のことなので、アマテラスの説明が間違っていることも知っている。

それでね? 仏を信じる者は、みんな救われるんですって!

だから、毎日お供え作ったり、お社を掃除したり、建て替えたり……世話の焼ける神より、仏の方がコスパ良いって、うちの国民がぞろぞろ仏教徒になっちゃって……

なるほど……

ああっ! 私の可愛い子たちが、みんな仏推しになっちゃったらどうしよう!!
アマテラスは強ばった表情で頭を抱えた。……が、それもまた別の宗教と混同している気がする。

おかげで、日本の神話を知らない日本人まで増えちゃっているのよ?

お父様だって感じてるでしょう、この、徐々に神力が弱まっていく感覚っ!

あぁ……

これって、八百万の神々大ピンチじゃない???
アマテラスは早口でまくし立てると、僕の方にググッと顔を寄せてきた。

え? あー? まぁ、なんとか? できたらいいかもしれないけど、時代の流れもあるし……一体、どうやって?
僕がアマテラスの勢いに押され、要領を得ない返事を返すと、彼女は「えへん!」と偉そうに仰け反った。

それがね、私わかっちゃったのよ!! 仏教の人たちが使っている『魔法の秘密アイテム』を!!!
おお。なんだ、その『魔法の秘密アイテム』とは。無性に少年心を揺さぶるではないか!
僕も思わず前のめりになる。

その、アイテムとは??

それはね……

……お経よっ!

は? お経?
期待外れかつ地味な回答に、僕は眉をひそめた。

そう! なんだか難しい名前の本がたくさんあってね、ブッダ? のカッコイイ話がいっぱい書かれてるんですって。それで『仏すごーい!』ってなって、みんな熱狂してるの!

ああ、なるほど……確かに僕も、仏教は法華経から勉強したな

だから 私たちも、お経みたいに自分たちのやってきたことをまとめた本を作ればいいのよ!!!

そしたら、みんな「八百万の神々すごーい!!」ってなって、また私たちを大好きになるはずだもの!!

ねぇ、これ、すごくいいアイデアだと思わない???
アマテラスはキラキラした表情でこちらの賛同を仰いだ。
うーん。そうは言っても、うちの神話に「教え」なんてないし、昔ばなしの延長だから、そんな熱狂する信者は現れないと思うけど……。
でも、僕も神々みんなの話は好きだし、まとめたら面白そうだ。

そうだな。まぁ、昔ながらの口伝を文字に起こすのは、反対が出るかもしれないけど……

君がやりたいと思うなら、やってみなさい
僕がそう言って微笑むと、アマテラスはさらに目を輝かせる。

ありがとう、お父様っ! お父様なら、絶対にそう言ってくれるって信じてたわ! 大好き!!
愛娘がバサッと勢いよくハグをしてきたので、僕もつい顔がデレる。

あははっ、どうせ 君は僕が止めたって、止まるような子じゃないしね?

ふふっ! もちろんよ!!
うちの娘はいくつになっても、かわいい。そして、その笑顔はどこか、彼女に似ていた。
アマテラスは改まって姿勢を正すと、明るい声で言う。

それじゃあ、お父様? 早速、この国のはじまりについて教えてちょうだい

はぁ? 君はもう、知ってるじゃないか

最初から、ちゃんと聞きたいのよ。

だって、この国はお父様とお母様が産んでくれたんだもの!
アマテラスがうっとりした表情で、宙を見上げる。
娘に尊敬されるというのは、父親として嬉しいものだが、どうもこう、正面きって言われるとこそばゆい。
僕は照れ隠しに、ポリポリと頭をかいて、視線を逸らした。

それじゃあ……どこから語ろうかな?

全部よ。本当の最初の最初から!

最初から? うーん。僕も自分が生まれる前は、そんな詳しくないんだけど……
僕は腕を組んで、脳みその奥に追いやられた、太古の記憶を手繰り寄せる。
するとまた、君の笑顔がちらついた。
まさか、今になって僕らの物語を語ることになるなんて……
さっきの夢は、君からの神託だったのかな?
そんな考えが頭をよぎると、また心がチクリと痛んだ。
でも……自国の神々の存在が疎かにされている今だからこそ、伝えたい。
君が、どれほどこの国を愛していたのかを。
僕が寝巻きのまま立ち上がって縁側に座ると、アマテラスも隣にストンと腰を下ろし、期待に満ちた表情でこちらを見上げた。
10月の出雲は穏やかで、優しいそよ風が、庭の清水のほとりに咲いた石蕗の花をそっとなでていく。ほのかに甘く香る秋風の中には、どこか懐かしい気配が溶け込んでいた。
僕はそっと目を閉じ深く息を吸うと、心が静かに満たされていくのを感じながら、ゆっくり口を開いた。

それじゃあ、語ろうか。僕『イザナギ』と、最愛の妻である『イザナミ』による、日本のはじまりの物語を――

心の中

心の中

夢の中の使い方例・・・
視界が真っ白に弾けると、ハッと夢から覚めた。
伸ばした手の先には、見慣れない天井の木目がぼんやりと見える。
ゆっくり上半身を起こすと、そこは宿泊先のこじんまりした客室だった。他に誰がいるわけもなく、静寂だけが流れている。
僕はやるせない思いを押し込めるように、ひざを抱き寄せて、つぶやいた。

――この気持ちは、君に伝わったのかな?
視界が真っ白に弾けると、ハッと夢から覚めた。
夢終わり。

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